問われる大学の自足性・閉鎖性

 市町村合併が話題になるずっと以前から気になっていたことがある。それは金太郎飴のような自治体施設のあり方である。どこの自治体に行っても、体育館やプールなどのスポーツ施設、図書館や文化会館などの文化施設、病院や敬老会館などの健康福祉施設などが同じようにある。あたりまえのことのようにも思えるが、少し変な気もする。

たとえば、私の住んでいる市の図書館と隣の市の図書館とは4キロメートルほどしか離れていないが、どちらにも似たような本が置かれている。自治体が、それぞれの境界内で一定水準の住民サービスを自前で提供しようとするかぎり、どの自治体も他所と同じようなことをせざるをえなくなり、結果として、実に素晴らしい全国横並びの状態ができあがる。しかし、あまりにも非効率ではないだろうか。自治体間でもう少し連携して、狭い境界を越えた施設の配置や相互利用などを考えれば、現在よりは水準の高いものができるように思うのだが……。

 実は、これと同じような状況が大学図書館にもあるのじゃないかと思っている。いや、それは大学図書館だけの話ではなく、大学全体にまで及んでいるように思う。たとえば、カリキュラムについても同じことが言えそうである。大学人は、それがあたりまえだと言わんばかりに、○○学の、細分化された下位の学問領域を余すところなく取り込んで、○○学科の充実したカリキュラムを編成しようとする。

 なぜ、細分化された下位の学問領域をすべて自前で揃えなければならないのだろうか。自治体のように、学部や学科が独立した組織単位であるから、(規模の大小や財政基盤の強弱に関係なく)どの大学のどの学部・学科も完全に自足していなければならないとでも言うのであろうか。

 このような自足性を重視する発想は、大学内部においては学部・学科の閉鎖性とつながっており、大学間の関係においては相互連携の欠損とつながっているように思う。すべての大学がすべてを備えていなくてもよいのではないか。

大学コンソーシアム大阪では会員大学間の単位互換制度の準備を始めていると聞いている。各大学が、単位互換を皮切りに、それぞれの特徴や強みを発揮し、コンソーシアムという連携を前提とした場をうまく活用すれば、大阪という地域に新しい「知域」が創造されると思う。それは、大学・学部・学科は完全に自足していなければならないという発想を、大学人ひとりひとりが捨てられるかどうかにかかっているのだが……。


注記
この原稿は、大学コンソーシアム大阪のマガジン『48大学@OSAKA   VOL.2』 のために書いたが、媚びている感じがしたのでボツにしたものです。

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