大いなる幻想

 物を見るとき、私は、ある特定の視点から物を見ている。それは永遠に他者と共有することがない視点である。人間は、同じ物を見ていても、それぞれ異なった視点から物を見ている。この視点の差異という事実から何が導き出せるだろうか。

 他の人間や事物を見るとき、私は自分でも気づかずに「日本人」や「男性」や「健常者」といった視点で見てしまっている。このこと自体に問題があるわけではない。しかし、私がこのような視点だけから他の人間や事物を見るとき、そして、その視点がもっている尺度だけでそれらを見るとき、差別が生まれる可能性がある。

これを回避するためには、想像力を用いて自己を他者の位置に移し置き、視点を複数化することによって、自らの視点および尺度を相対化する必要があろう。しかし、ここには、他者の視点は想像によってしか獲得できないという問題と、超越者(神)でないかぎり普遍的な視点を獲得することは不可能であるという問題がある。視点の複数化といっても、それは想像に基づく幻想でしかないし、視点の複数化は、あくまでも複数化であって普遍化ではない。

そうであるかぎり、私たちは、現実に差別者であることから永遠に逃れることができない。私だけでなく、この文章を読んでいる貴方も、現実に差別者である。差別をしない人間や差別のない社会は「大いなる幻想」でしかない。私は差別を肯定しようとしているのではない。差別を少しでも少なくするためには、それが幻想であることを確認することから出発する必要があると言いたいのだ。

(2001年度後期人権講演会の案内パンフレットに書いた原稿)

 

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