容器としての図書館の終焉

「追手門学院大学図書館報」に掲載予定の文章です。
字数制限(21字X60行)があるために、書きづらかった。脱稿日2000年11月12日(締め切りは10日でした)




 ごく最近まで、図書館というものは、紙の上に書かれたか印刷された大量の図書を、利用者が現れるのをじっと待ちながら、一箇所に集中的に収納・保存する物理的容器であった。

 この物理的容器の歴史は、非常に古い。紀元前7世紀のアッシリア王アッシュールバニパルの王宮には、2万点以上の粘土板文書を保存する図書館(文書保存庫)があったと言われている。また、紀元前3世紀、古代ギリシャに作られた古代最大の図書館アレクサンドリア図書館は、40万巻とも70万巻とも言われるパピルスの巻物を所蔵していた。本学図書館の蔵書数387,407冊(2000年4月1日現在の和書と洋書の合計冊数)と比較すると、アレクサンドリア図書館がいかに巨大だったかが分かる。

 だが、物理的容器という図書館の性格は、歴史の最初から、二つの問題を孕んでいた。

 第一の問題は、量の問題である。収蔵される図書は時間とともに確実に増大し続けるのであるから、図書館は絶えず巨大化し続けなければならないという問題である。フォアグラという珍味のために肝臓の肥大を運命づけられているガチョウは、実に悲劇的な存在であるが、持続的巨大化を運命づけられている図書館もまた、悲劇的な存在なのである。巨大化し続けることができなくなった図書館は、容器を分散せざるをえない。しかし、集中的に収納・保存する機能を失った図書館は、効率性と利便性を失い、利用者と図書との出会いの機会を奪い、その分だけ利用者を失うことになる。

 第二の問題は、図書館の価値に関する問題である。容器としての図書館は、それがどのような種類の図書館であるにしても、巨大化し続けなければならない。しかし、図書館が巨大化の運動に総動員されるという事態の中で、「巨大化すればするほど図書館の価値は増大する」という価値錯誤が、図書館関係者の側にも図書館利用者の側にも生じる。図書館は、蔵書数の多さを競い合い、図書館利用者は蔵書数の多寡で図書館の価値を判断するようになる。これは、蔵書の質を無視した、喜劇的な価値錯誤である。

 世間では、高度情報化社会における図書館のあり方をめぐって、さまざまな議論がなされている。そうした議論はいずれも、「容器としての図書館」の時代は終わった、と宣言している。また、近年の、電子テキスト化という全世界的潮流は、従来の図書館のあり方を根本的に否定するものである。本学の図書館も、いずれ、この潮流に飲まれていくであろう。このような予測をもとに、今後の本学の図書館のあり方について、最後に一言だけ述べたい。電子的機能の拡充は重要だが、しっかりとした「理想的図書館像」などは描かないほうがよい。技術革新が、絶えず理想像の描き直しを求めるからである。理想像を描くとしたら、むしろ、途中からいつでも描き直しができるような、可塑性・柔軟性のある図書館像を描くべきである。



 前のページに戻る