トマトと人間

(1999年度池田市立秦野小学校卒業式でのスピーチ


六年生のみなさん、卒業おめでとうございます。
 卒業式では、お祝いの言葉や励ましの言葉を述べるのが通例となっているようですが、今日は、「トマトと人間」というテーマで話をしたいと思います。小学校卒業を節目に、「自分の人生」について皆さんに少し考えていただきたいからです。
 種から育ったトマトの苗は、さらに成長し、次の世代を残すために、やがて実を結びます。植物の名前ではなくてこの実のことを、私たちは普通トマトと言っているのですが、この実はもちろん最初から熟しているわけではありません。低学年のときに皆さんが育てたプチ・トマトを思い出してください。トマトの実は最初は小さくて白っぽい緑色です。大きくなるにつれてだんだん濃い緑色になり、やがて赤くなります。私たちはある程度トマトが熟した段階で食べてしまうのですが、そのままにしておくとトマトは完全に熟します。要するに、トマトは未熟という段階から、完全に熟する段階、完熟という段階に到達することによってその成長が完成するのです。
 人間をこのトマトと比較してみましょう。ドイツのある学者は、人間は未熟なまま死んでいくのだと言っていますが、私はそのとおりだと思っています。人間は、どれほど人間的に成長しても、完全に熟するトマトのように完成することが決してありません。
 生まれてから十二年しか経っていないという意味では、卒業生の皆さんは確かにまだまだ未熟ですが、今私が述べました「人間は永遠に未完成である」という意味では、私も、皆さんのお父さんやお母さんも、担任の先生方や校長先生も、市長さんも、文部大臣や総理大臣も、皆、未熟者なのです。未熟でしかありえない人間が、完成した人間であるかのように振る舞うことは傲慢でしかありません。人間は永遠に未熟でしかありえないのですから、自分の未熟さを謙虚に受け止めることが、私は、生きていく上で非常に大事なことだと思っています。
 ところで、人間は永遠に未熟でしかありえないのだったら努力するのは無駄ではないかと考える人がいるかもしれませんが、それは違います。人間としては決して完成することがないとしても、人間は、少しでも熟するように努力し続ける必要があると思います。
 トマトは熟することによって味が出てきますが、実は、トマトはトマトなりの仕方で努力しています。トマトは、発芽し、苗が成長し、実が熟していく間、ずっと太陽の光を浴び、地中から栄養をとり続けています。それと同じように、人間も、学校での「学習」だけでなく、スポーツや音楽や遊びや仕事やケンカや口論といった、さまざまな「学び」をとおして栄養をとり続ける努力をしなければなりません。そのようにして、人間として少しでも熟するように努力を重ね続ける人には、きっとその人なりの味が出てきます。
 卒業生の皆さんには、自分の未熟さを常に謙虚に受け止めるという姿勢を身につけ、さまざまな「学び」をとおして少しずつ熟し、自分なりの「いい味」を出していってほしいと思います。
 どのような人生であっても、間違いなく、一人ひとりが自分の人生の主人公です。皆さんが、それぞれの人生で、将来「いい味」を出してくれることを心から期待して、私の「励ましの言葉」に代えさせていただきます。
 六年生の皆さん、卒業、本当におめでとう。

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