自己理解と媒介の不在
   ――゙論文のひとつの読み方――

 本学会誌第二号に掲載されだ街京教授の「日本における西洋哲学受容についての一考」について、現象学が専門でもない私が原稿を書くように依頼されたのは、おそらく、私が゙教授の著書『意識と自然』(法政大学出版局)の訳者に名を連ね、昨春に追手門学院大学人間学部において開催されだ教授の講演会(演題は「間文化(相互文化)理解の問題について」)の司会をしたことによるのであろう。゙教授の業績などの紹介は、訳書『意識と自然』の解説に以前記載したので、ここでは、本学会誌第二号に転載・寄稿されだ論文の私なりの読み方を提示してみようと思う。というのは、゙論文は、日本を含む東アジア三国における西洋哲学受容を表面的には主題としながら、その裏面において、現代日本の哲学のあり方や、日本の哲学者の歴史に対する構えについて、さらには学者のあり方について重要な問題提起をしているように思えるからである。

一、自己理解の不在
 
゙教授は、井出孫六著『小説 佐久間象山』に依拠しながら、日本における西洋哲学受容の最初期を以下のように把握している。西洋の学術(および、その「究理の力」)に対する「驚き」が明治維新前後の日本における「哲学的目覚め」をもたらしたのであり、「彼方の詞に通じ、彼の技術を尽くして始めてその実を得る」という佐久間象山の言葉に見られるように、西洋哲学受容の動機は「実利の尊重」にあった。なかでも「幕末の最高のイデオローグ」と言われる佐久間象山は、「西洋の言語・西洋の思考の論理・科学技術の発展可能性の間にある相関関係」(傍点は著者による付加)を見抜き、「西洋の思考方式を西洋思想の内側に立ち入って、その『即自的』な性格において徹底的に理解しようと努力した」のである、と。
 日本における西洋哲学受容の最初期のこのような解釈は、気にもかけずに素通りすることも容易であるが、実は、現代の日本において西洋哲学を学んでいる者に対して、耳の痛い様々な問題を突きつけている。自戒の念を込めて、゙教授が問題指摘していると思われることをあげてみよう。
 (一)現代においても西洋哲学は受容され続けているが、最初期のような国力増強という「実利」がもはや動機ではありえないとすれば(また、個々人においても功名や権威への志向が動機でないとすれば)、現代における西洋哲学受容の動機は一体何であろうか。現代日本の西洋哲学研究者は、西洋哲学受容の自らの動機を真摯に問うことを忘却しているために、動機に関する自己理解の不在という事態が生じているのではないかという問題指摘が、第一の問題指摘である。
 (二)佐久間象山の「彼方の詞(および思考――著者による付加)に通じ」なければならないとする「対象と相まった主観的態度」は、現代の西洋哲学研究者(およびその養成機関としての大学・大学院)においても、一応、原典主義という形で存在しているように見える。しかし、このことに関しては二つの問題があろう。
 丸山真男は加藤秀一との対談(『翻訳と日本の近代』、岩波新書)の中で、一八八三年(明治十六年)に刊行された矢野文雄著『訳書読法』の中の、「方今、訳書出版の盛んなるや、その数幾万巻、啻に汗牛充棟のみならざるなり」という一節を紹介して、明治の初期からすでに翻訳文化の時代であったと指摘しているが、一方において西洋哲学の即自的な理解を一応は重要視しながら、他方において翻訳書の洪水を生み出す日本の西洋哲学研究者とは一体何であるのか。日本のほとんどの西洋哲学研究者が行っているのは、訳文の厳密を心がけながらも、原文に「和臭」を添加して横文字を縦に置き換えて紹介しているだけではないのかという問題が、我々に突きつけられているように私には思える。それは、西洋思想を西洋思想の内側に立って即自的に理解することが必ずしもできていないのではないかという問題指摘でもある。それは、言い換えれば、自らの言行の不一致に関する自己理解の不在という事態が成立しているのではないかという問題指摘である。
 さらに、現代日本の哲学界においては西洋哲学受容の動機の問題が忘却され不問に付されているために、動機が必ずしも明確でない(もしかすると不在かもしれない)という状況を踏まえると、この問題指摘は、われわれにとっていっそう耳の痛い問題指摘となる。それは、佐久間象山の言葉を再び借用して表現するならば、現代日本の西洋哲学研究者は「高遠空疎の談に溺れ、訓古・考証の末に流れ」ているのではないかという問題指摘である。現代日本の西洋哲学研究者は、重箱の隅をつつくように一語一語を厳密かつ微細に解釈するとはいえ、所詮、謎解きのような文献学的解釈ばかりを行い、真に哲学していないのではないかという問題指摘である。

二、「生きた媒介」の不在

 中国の古典思想およびその倫理観と訣別し(=脱亜)、西洋の学術や思想に転換する(=入欧)ことによって日本の西欧化ないし近代化は成功したが、それは日本が「我」を失って「彼」に浸食され「彼」に服従したのではなく、西洋の科学技術を我が物とすることによって倍加した形で、「我」を回復したのではないか、ど教授は述べている。しかし、同時に、西欧化の成功は「東洋的伝統の何かを犠牲にする」ことによって可能であったのだと、すぐさま付け加えている。日本の西洋思想受容には部分的受容という偏向性が見られるだけでなく、「尚武」という日本の社会と文化に内在する偏向性が見られるが、その偏向性を克服する普遍的な理念が東洋の伝統思想の中に残っていないのだとすると、東洋の伝統思想は「空疎無益のもの」として忘却されざるをえない。だが、゙教授は、東洋の伝統思想がもつ倫理性は「現代の産業社会がもたらした人間疎外と環境論的な諸問題に対処する積極的な拠り所となる」という、自らの揺るぎない確信(!)を披瀝している。
 ゙教授がここで提起しようとしているのは、西洋思想と東洋思想との「生きた媒介」という問題である(゙教授は、著書『意識と自然』に「現象学的な東西のかけはし」という副題をつけておられたし、「間文化(相互文化)理解の問題について」と題された上述の講演においても同じ問題提起をされた)。おそらく、現象学の方法を用いて東洋思想と西洋思想とを生き生きとした形で媒介させることによって初めて、哲学は「要を得」「実を得る」ことになるという主張であろう。
 もちろん「生きた媒介」とは、今言をもって古言を解釈することを戒めた荻生徂徠本居宣長を模倣して言えば、和言をもって洋言を解釈することでも、逆に、洋言をもって和言を解釈することでもない。それは、東洋思想の類似概念を借用して西洋の思想を「我田引水式に」解釈し、結果的に東洋思想の優越性を再確認するといったことでもなければ、西洋思想の類似概念を借用して東洋の思想を「我田引水式に」解釈し、結果的に西洋思想の優越性を再確認するといったことでもない(後者に関しては、カント研究者・愛好者が、カントの定言的命法と『論語』の「従心所欲不踰矩」とを比較し、後者をカントの立場から解釈することによって自分が愛好するカントの優越性を確認するといった事例があることを指摘しておこう)。このことは、中国の啓蒙哲学者厳復が西洋哲学を受容する際にとった「格義」(koyi)の手法に対する゙教授の批判から明らかである。「生きた媒介」が成立するためには、他者の立場を「横界」や「倒界」ではなく「正界」として認めるような「遠近法的」な見方、言い換えれば、自己を中心に据えることから生ずる偏見を反省する「分別知」(prudentia)が前提になければならない、ど教授は至極まっとうなことを主張している。
 だが、西洋思想と東洋思想との「生きた媒介」という問題は、その表現の簡潔さに反比例するかのように、日本のほとんどの西洋哲学研究者および東洋哲学研究者にとっては著しく困難であると思われる。西洋哲学研究者には東洋哲学の、東洋哲学研究者には西洋哲学の基本的素養が欠落していることが、困難のまず第一の原因である。゙教授は来日されるたびに、「日本の哲学科には西洋哲学を学ぶ階と東洋哲学を学ぶ階とがあるが、二つの階を往来する肝心の梯子が掛かっていない」というK・レーヴィットの指摘を持ち出して、西洋思想と東洋思想とを媒介させる必要性を盛んに唱えておられるが、西洋哲学あるいは西洋思想受容の初期から「タコツボ化」(丸山真男『日本の思想』、岩波新書)が日本のアカデミックの伝統であり、両者の交流すらほとんど見られないのが現状である。これは、日本の哲学教育のあり方・哲学研究者のあり方に対する貴重な問題提起である。しかし、西洋思想と東洋思想との「生きた媒介」が困難であるのは、果たして「タコツボ化」だけが原因なのであろうか。
 私にはそれだけが原因だとは思えない。「タコツボ化」による「生きた媒介」の不在よりも、もっと根本的なところに問題が潜んでいるように思う。それは西洋哲学を学ぶ動機の不明もしくは不在の問題とも関係するが、現代日本の西洋哲学研究者は、頭の中は西洋の思想で生きるが現実の生活は東洋の思想および東洋の文化を生きる――たとえば、頭の中ではsocietyについて考えているが現実には世間を生きる――というダブル・スタンダードで生きているのではないかという疑問があるからである。福沢諭吉は通時的な意味で「一身二生」という言葉を用いたが、現代日本のほとんどの西洋哲学研究者は共時的な意味で「一身二生」を生き、しかもそのことをほとんど自覚していないのではないかという疑問があるからである。この無自覚が、言い換えれば、共時的な意味における「一身二生」という自己の現実に関する自己理解の不在が、動機の不明もしくは不在と相俟って、現代日本の西洋哲学研究を「高遠空疎の談に溺れ、訓古・考証の末に流れ」させ、厳密な文献学的解釈に堕落させているのではないだろうか。
 昨年の秋期特別シンポジウム「〈慰安婦問題〉からみたハンナ・アーレント」を司会した大越愛子氏は、シンポジウムの冒頭で日本の思想系の学会がアクチュアルな問題に取り組もうとしなかったことや、議論が噛み合わなかったことを紹介しているが、そのような事態はある意味では当然のことなのかもしれない。なにしろ、現代日本のほとんどの西洋哲学研究者は、大地に足がついているかどうかをまったく見ずに、頭だけで哲学しようとしているのだから。もちろん、現実という大地に足をつけようという試みを「応用倫理学」や「臨床哲学」の中に見て取ることもできる。しかし、そうした試みにしても、相変わらず西洋思想の受容・紹介という面ばかりが目立ち、西洋思想と東洋思想との「生きた媒介」からは、まだまだ遠くかけ離れているように思える。

三、歴史的自己理解の不在

 ゙教授は、井出孫六著『小説 佐久間象山』に付せられた由比正臣氏の解説に同調して、『小説 佐久間象山』は、歴史の「可能性」の領域にその実現が望ましかった「より高次の理念」を認めることによって、「歴史と伝統に対する日本人の感覚を、消極的な麻痺の状態から揺り起こそうとする」書物であると捉える。゙教授は由比正臣氏に同調しつつ、「歴史的自己理解」あるいは歴史と伝統に対する主体的責任という問題が、実は、「日本における西洋哲学受容についての一考」という表面的な主題の背後に秘められた真の主題であることを仄めかしている(゙論文が本学会誌第二号に転載された理由は、推測でしかないが、編集者が「歴史的自己理解」の問題に強く惹かれたからであろう)。
 ゙教授は、背後に秘められたこの主題を通して、ほとんどの現代日本人が歴史(とりわけ近代化の歴史)に対して「麻痺状態」に陥っているのと同様に、現代日本のほとんどの西洋哲学研究者も西洋哲学受容の歴史と伝統に対して「麻痺状態」に陥っているのではないかという問題指摘をしているのである。現代日本のほとんどの西洋哲学研究者は、西洋哲学受容の歴史と伝統に対して無関心であるか、たとえ関心や知識をもっていたとしても、西洋哲学受容の現実の歴史よりも優れた西洋哲学受容の歴史がありえたのではないかという、歴史の可能性を抉り出してみせるという仕方で西洋哲学受容の歴史に対峙している者はほとんど見られない。゙教授の問題指摘は、日本の西洋哲学研究者は「歴史的自己理解の不在の中で、歴史に対する「麻痺状態」の中で、「主体的に歴史に対して責任を負う」ことなく、哲学しようとしているのではないかという問題指摘である。

四、応答すること

 自己理解の不在と媒介の不在をめぐる以上のような問題指摘によって槍玉に挙げられているのは、表面的には、日本の西洋哲学研究者である。だが、これらの問題指摘は、現代日本の西洋哲学研究者に対してのみ発せられているのではない。西洋哲学研究者や東洋哲学研究者だけでなく、近代以降に日本に受容された西洋の学問に携わるすべての学者に向かって発せられていると考えるべきである。
 穏やかな口調で゙教授の口から発せられた、しかし、その穏やかさとは裏腹に耳が痛くなるような痛烈な問題指摘に対して、われわれ(現代日本の西洋哲学研究者)はどのように応答すべきであろうか。学者ひとりひとりの、学者としての責任が問われているように思う。


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