【評者】 熊倉功夫(くまくらいさお)

現職●国立民族学博物館教授  専門領域●歴史学・日本文化史
著書●『茶の湯の歴史』、『近代数奇者の茶の湯』『日本料理文化史』ほか

 本書は追手門学院大学人間学部の教授陣による共同研究の成果である。全体は一〇章からなっていて、目次は次のとおり。

 一章.食と哲学 山本博史、二章.空腹の時間論ー空腹感覚と内的時間意識の形成ー吉田正、三章.食の人間学と子供たちが生きものとしてピチピチと生きること 矢谷慈國、四章食べもの作りを中心とした農村リーダー研修 三浦昭男、五章 戦後の日本人と米ー「米離れ」の原因と帰結ー宮川淳、六章.人間の食の過去、現在、未来 藤原一郎、七章.資本主義と食の問題 島本美智男、八章.「食」に関する学校教育の取り組み 鋒山泰弘、九章.現代の日本の食文化考 中嶋昌彌、十章.カニバリズム 柏原全孝

 以上十章の論文に六編のコラムが加わった本書は、どの章をとっても大変よみやすく、しかも論旨明解で、示唆に富んでいる。いわゆるシンポジウムや共同研究の報告書にありがちな一人よがりの難解なところがない。

 第一章はへーゲルの『精神現象学』の一節から出発し、食と哲学について西洋近代がつくりあげた図式を超える食の哲学を模索しようとする。この視点は第十章のカニバリズムの問題提起ともつながっていて「生命を食べる」ことの哲学的な解決(があるかどうかわからないが)に迫っている。私自身メンバーとして参加している食の文化フォーラム((財)味の素食の文化センター主催)でも「食の思想」や「飢餓」として取りあげてきたテーマだが、掘り下げかたが不十分であったと反省される。

 第三章は子供たちの問題をとりあげ、第四章は農村リーダーの資質を追求してテーマは異なるが、いずれもアジア学院(一九七三年に設立され、国際的人材養成をめざす専門学校)での体験に立脚している点が共通している。「偏差値管理教育からの脱却」も「小規模有機農法の理論」も、その提言が机上の空論ではなく、実践を背景にした主張である点が強い。今後、どのように成果を結ぶか、長い目で見まもりたい。

 第五章は日本人の米離れの状況をまとめ、第六章は大胆に猿人から未来までの食のあり方を論じている。ただし「ドックフードや家畜の飼料の経験からみて」、栄養食を年齢区分に従って摂取する方向に、「食の文化はおおまかには」向かっている、といわれても、私などは納得しにくい。もしも食の快楽が栄養の摂取と全く別個に考えられる時がきたら可能かもしれないのだが。

 第八章は食の教育を論じ、第九章は現代の多様な食文化を論じるが、いずれも現代をとりまく情報化現象と食の文化の問題に目を向けている。「情報化」ということが具体的にどういう状況なのかが、今ようやくみえてきた。人間についていえば年齢差とか階層差のない、物についていえば大事か大事でないかわかりにくい、ノッペラボーな社会が情報化社会なのである。人と人、人と物との関係がおそろしく稀薄になった。人と食べものの関係も同じ。さてどのようにこの状況は変えられるのか。本書全体がその課題に帰着するという意味で、まさに食の現在を考えるための好著といえよう。

vesta(季刊ヴェスタ)』(第49号(2003冬)2003年2月1日発行、発行:財団法人味の素食の文化センター、発売:農山漁村文化協会、79頁)

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