新自由主義とたたかう政治哲学

 半年ほど前、本紙でもおなじみのミシェル・レヴィの書いた『世界変革の政治哲学』が、柘植書房新社から出た。
 いろんな読み方ができると思うが、この本を読んで、私には強く感じさせられたことがある。
 それは、ソ連邦を中心とする労働者国家群とアメリカを中心とする帝国主義国際体制が現状維持的に対抗しあう「世界的二重権力関係」が崩壊し、そのなかから「新自由主義」と自称する弱肉強食資本主義が支配的力をもって世界におおいかぶさっている現実のもとでは、マルクス主義は、少なくともその強調点を変えることを迫られている、というように表現できよう。
 この本のなかで、レヴィは、資本主義の次には社会主義が「不可避的に」やってくるといったたぐいの「科学的社会主義」は、カウツキーやスターリンのものであって、マルクスやローザ、トロツキーのものではないとして、「革命的ユートピア」、「革命的ロマン主義」を前面に押し出している。
 それは、「共産主義は、つくり出されるべき状態でも、のっとるべき理想でもなく、現状を廃棄する現実の運動である」という『ドイツ・イデオロギー』の観点との整合性はどうなるのだろう、と考えざるをえないほどである。
 だが、マルクス主義の根底に「近代主義」批判が地下水脈のように流れていることを認めるなら、こうした疑問は氷解するであろう。また、そこに含まれる現在的意味も明らかになるはずである。
 周知のように、マルクスの『資本論』は、「商品」から始まっている。「人と人の関係」が「商品と商品の関係」に置き換えられていることを「原基」として資本主義が成り立っていることを解き明かし、資本主義を根底からひっくり返そうとしたのである。
 これに対して、「新自由主義」は、「商品と商品の関係」こそが「合理」であり、「人と人の関係」はただそこに従属するだけである、として「近代主義」を極限ぎりぎりまで押し進めようとする。
 こうした風潮に便乗して、「性の商品化」もまた「労働力の商品化」のひとつにすぎない、という逆立ちした「論理」をもてあそび、売買春を正当化する傾向さえあらわれている。「新自由主義」は、私たちの深部にまで侵入している、と考えざるをえない。
 マルクス主義再生のためには、私たちが「マルクス主義」と考えてきたものの自己検証もまた求められる。レヴィのこの本は、すべての問題に解答を与えてくれるわけではない。だが、マルクス主義再生のためのいくつかの重要な論点を提出していることは確かである。その意味で、この本は「論争の書」である。
 同時に、「新自由主義」とたたかううえで、「近代主義」の枠内でとらえられたマルクス主義は、「新自由主義」と同じ土俵の上で競いあおうとするだけであり、有効な理論たねえないことを、まさに警鐘として発しているという点でも「論争の書」なのである。(岩)

出典:『週刊かけはし』(日本革命的共産主義者同盟中央委員会編集、新時代社発行)
    
200011日号(第16145号)


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