「学び」と「私」

   学校をめぐる私の原体験

 小学校の頃の記憶は四十四才となった今ではそれほど確かではないが、低学年の頃は、私は学校から帰ってきてランドセルを玄関においた直後には、家から姿を消していた。高知市内を流れる鏡川の河原やその近くの田んぼ、家のまわりに点在していた空き地や資材置き場、近くのお寺の境内など、家から歩いて十分ほどで行けるところが、私の遊びの「ホームグラウンド」であった。そうした遊び場のことであれば、今でも次から次にありありと思い出すことができる。真っ暗になるまで遊んでいて両親からこっぴどく叱られたこと、土手で火遊びをしていて消防車が来るハメになったこと、町内ナンバーツーのガキ大将にかわいがられていたこと、鉄工所で鉄板を手裏剣の形に切り抜いてもらい、それを自分でグラインダーで磨いて手裏剣を作り、戸板を標的にして遊んだこと、今では自殺行為としか考えられないが、台風後の濁流と化した鏡川に飛び込んで泳いだこと、こうしたことであれば、昨日のことのように思い出すことができる。
 これとは対照的に、低学年の頃の学校の記憶はほとんど残っていない。低学年の頃の学校の記憶として残っているのは、三年生の頃だったと思うが、給食後の時間に家からもってきた十分間ドリルのようなものを毎日毎日やっていたことぐらいである(今から思えば、遊んでばかりいる私のために母親が買ってきたのであろう)。担任の教師に毎日毎日採点を頼んでいたが、面倒だったのか不公平だと考えたのか、最後には採点を断られたうえに叱られてしまった。このドリルの記憶だけが、やけに鮮明に残っているのはなぜなのだろうか。
 四年生から私は塾通いを始めさせられた。一九六三年のことである。よほど勉強しなかったのだろう。老婆とその娘二人が経営する竹内塾という近くの学習塾に行くことになった。ところが、私は塾をサボって遊んでばかりいたのである。サボれば出席カードに印鑑を押してもらえないのだからすぐにバレてしまうはずだが、私はなかなかバレなかった。その場凌ぎの嘘に長けていたということもあったが、家にあった認め印を使って竹内という印影を作り出す技を見いだしたり、竹内という認め印を買ってくることを思いついたりしたからである。しかし、こういった手口にも限界があった。長期欠席の理由を尋ねてくる電話が家にかかってきたからである。一つの手口が破綻するたびに両親からこっぴどく叱られ、夕食も終わった夜の八時かそこらに、子どもが誰もいない明かりの消えた塾に気まずい思いをしながらながら(とはいえ、性懲りもなく次の作戦を練りながら)行ったのを今でも覚えている。結局、その塾では「バットマン」というあだ名を頂戴することになった。
 両親の間では私に競争心がないからダメだということになったのか、五年生からは、高知県内で勢力を二分していた進学塾に通わされることになった(今はどうか知らないが、当時高知県では進学校といえば中高一貫制の私学というのが常識であったので、高校受験ではなく中学受験がメインイベントであった)。ところが、こともあろうか、私はこの進学塾にハマってしまったのである。学校よりも塾での「お勉強」のほうが、進度も速いし程度も高くてはるかに楽しかった。日々繰り返されるテストは、まるで遊びのように、ちょっとした快感と充実感とをもたらしてくれた。この塾の県内全支部が参加して一ヶ月に一回開催される模擬試験では成績上位者の氏名が毎回塾内に張り出されることになっていたが、私は、そこに名前が載ることに最初は優越感を感じていた。しかし「常連」になると、それは当たり前だと思うようになり、今度は順位のほんの少しの上下が気がかりになった。私はこの時期に、点数と順位だけの競争の世界に引きずり込まれてしまったのである。「東大」「京大」「阪大」「医者」「弁護士」といった語彙が、意味不明のまま「私」の中に刻印されたのは、この時期である。中学受験前の数ヶ月間、私は、誰に言われたわけでもないのに、毎朝六時に起床して登校時間まで問題集に取り組むという計画を自ら立て、それを毎日毎日黙々と実行していた。今になって思えば気持ちが悪いほど勤勉な「私」が、そこにいた。「私」は、いつの間にか、「自らお勉強する私」に「形成」されていたのである。この進学塾での「お勉強」のおかげで土佐中学校・高校に進学したが、その後の六年間も、実はこれと同じ世界が私を待っていた。
 各学期の定例の試験(中間考査・実力試験・期末考査)と平常の試験、いくつかの受験産業が実施する全国模擬試験。素点と順位(クラスでの順位・学年での順位・全国での順位)を毎回突きつけられたが、そのころには「お利口さん」の私は点数と順位だけの競争の世界の住民になりきっていたので、このことに何の疑問も感じなかった。また、高校二年生までに高校三年生までの教科を終了し、最後の一年は志望パターン別に大学受験の準備をするという、あくまでも大学受験を大前提にしたカリキュラムに何の疑問も感じなかった。中学一年から漢文・古文・口語文法および文語文法・現代国語が独立した教科として、また英語読本・英文法・英作文が独立した教科として毎学年に設定されているカリキュラム、あるいは中学三年には数学Tを習得することになっているカリキュラム。夏休み中に行われる補習と講習会。細分化と大量と反復と進度の速さを特徴とするこのカリキュラムは、この世界が大学受験のみを目的にした徹底的に合目的的な世界であることを意味している。また、ある学年のときのことであるが、授業開始一時間前(午前七時三十分)に始まる早朝自習に積極的に参加した。これは強制ではないと説明されていたが、毎日の自習時間は担任によってチェックされ、まるで営業成績表のようにそれが教室に張り出されていた。私の住んでいた世界は、教師および自己自身による徹底した管理の世界でもあった。

   学校は「地獄」である

 この世界に見事に適応した私は、一時期は全国模試で五位か六位という勲章もいただいた。しかし、私は高校二年生の途中から、ある出来事をきっかけに、この世界に疑問を感じ始め嫌悪感すら抱くようになった。当然のことであるが、学校から教室から足が遠のいた。学校に行ったにしても授業の途中で抜け出し、クラブ(吹奏楽部)の部室で寝そべって煙草を燻らせながら本を読んだり、喫茶店やパチンコ店に仲間とともに入り浸る毎日が高校卒業まで続いた。試験期間になると仲間と屋台で待ち合わせ、ビールや酒を飲んだり、深夜の町中を徘徊したりした。警官にも何度か職務質問されたが、「試験対策のために友人宅へ勉強に行く土佐高生」という葵の御紋は効き目が絶大であった。わざと白紙答案を出したりもした。クラスを挙げてカンニングをしたこともあるし、仲間内や一人でカンニングをしたこともある。校則もことごとく無視した。家出も何度もした。肩まで届く私の長髪スタイルは、規範的なものにことごとく反発したこのときから始まる。気がつけば、いつの間にやら私は「クラスの癌」と言われるようになっていた。ガン細胞が増殖するように私のまわりには仲間ができていたのだから、これはなかなかうまい命名だと今でも思っている。
 ところで、「お利口さん」から「クラスの癌」へと私を変えたある出来事とは、実はたわいもないことである。あるとき、私は数人の仲間とともに下履きのまま校舎に入るというちょっとした校則違反をしたが、なぜか成績の良かった私だけが叱られなかった。このことをきっかけに私は自分で考えることを始めたのである。私は、自分の生きている世界が徹底した管理と競争原理のみが支配する合目的的な世界であることに、本当の意味で初めて気づいた。だが、このことに気がつくと同時に、次のような疑問が生じてしまったのである。
 点数や順位として表現される、学校での「お勉強(という意味での学び)」の成果は、確かに学歴や学校歴や就職や社会的地位と交換される価値を現実にもっている。それゆえ、暗記や受験テクニックを習得することによって交換価値を増大させることが、「お勉強」の世界では至上命題である。しかし、交換価値の増大に直結する{お勉強」を除けば、私は「何を」学んでいるのであろうか。また、私は本当は「何のために」学んでいるのであろうか。
 この疑問に直面して、私は途方に暮れてしまった。交換価値の増大という目的を除けば、私は何のために学んでいるのか分からなかったし、また、それを目的とする「お勉強」を除けば、学校の授業では、本当に学ぶべきことをほとんど何も学ばなかったように思えたからである。交換価値に還元された「学び」と真の「何のため」の不在。この恐るべき事態は、進学校にのみ見られる特殊な事態なのではなく、程度の差はあるにしても、どの学校でもごく普通に見られる事態である(もちろん、いくつかのフリースクールのように、交換価値に還元された「学び」とは別の「学び」を実践あるいは模索している学校も存在しているが)。我々は、必ずしもそれに関心があるわけではない事柄を、また、それを学ばなければ生きていけないというわけでもない事柄を、学校という取引所で、価値の交換のためだけに「お勉強」させられているのである。今や、学校というシステムは巨大な取引所と化し、個々の学校はその代理店と化し、このシステムの中で、個々人は自分を高く売るように駆り立てられ、個々の学校は代理店間の販売競争に駆り立てられている。そこでは、真の「何のため」が不在のまま、半ば強制的に、価値の交換という同じことが永遠のごとく繰り返されている。そう、学校とは取引所であるか、さもなければシシュフォスの地獄なのである。今になって思えば、当時の私は、取引を停止し地獄から脱出しようとして藻掻きながら「不良ぶって」いたのであろう。そこには、取引所という世界や、この世界に駆り立てる両親や、この世界の管理人としての教師や、この世界に順応していた自己に対する否定は見られるが、肯定が欠落している。当時の私は、このような否定の中で抽象的に生きていたのである。

  学校の授業は「嘘」しか教えない

 ところで、交換価値の増大技術を習得する「お勉強」は別にして、私は学校の授業で「何を」学んだのであろうか。私は学校の授業で「嘘」しか学ばなかった。いや、学校とは、巧拙はあるにしても、「嘘」しか教えないし、そもそも「嘘」しか教えることができないところなのである。というのは、学校という場で我々に提示される「現実の世界」は、「現実の現前する世界そのもの」ではなく、教師たちによって再提示された(代表的な仕方で提示された)世界、再現前化された(代表的な仕方で現前化された)世界にすぎないからである。このような考え方からすれば、自らが提示するものが「嘘」であることを自覚しながらも可能な限り「優れた嘘」をつき、それが「嘘」であることを正直に伝える教師が、誠実な教師であるということになる(私は、残念ながら、不誠実な教師にしか出会わなかったが、不誠実な教師にしか出会わないことは悲劇である)。
  「お母さんが八百屋で野菜を買うのはいつですか」という先生の問いに「夕方」と答え、間違い(!)を指摘され、「野菜が新鮮な朝である」と教えられた小学生のときから、私はこの「嘘」に薄々ながら気づいていた(共働きの我が家では買い物は夕方であった)。交通安全学習も白々しい「嘘」のように感じられた。現実の交通秩序は、必ずしもお巡りさんの言うような交通秩序にはなっていなかったからである。学校や警察が交通安全についてどれほど熱心に繰り返し教えても、我々はそこから実際に学んだりはしない。単に「学んでいるふり」をしているのである。むしろ我々は、赤信号であっても車が来ていなかったりお巡りさんに見られていなかったら横断するという現実の世界を、現実の世界のまっただ中で「これが現実だ」と学ぶのである。我々が学校の授業で教師たちから学ぶのは、常に、ある人々がある視点から見た現実の世界、ある人々がある立場から分析や解釈をした現実の世界、ある人々があるべきだと考える世界である。すなわち、ある人々によって「現実の世界であると見なされているにすぎない世界」であるか、まだ現実化されていない理念的な世界である。そうした世界は、私の身近な現実の世界がもってる「近さ」や「具体性」をひとつも持ち合わせていない。それは、私から「遠く隔たった世界」でしかないのである。
 当時はまだ雑然とした形でではあったが、このような学校の「地獄」と「嘘」とに気づいた私は、京都での浪人生活の間、次のような問いを繰り返していた。自分は現実の世界について「何を」知っているのであろうか。「嘘」はたくさん知っているが、本当は「何も知らない」のではないか。自分は大学で「何を」学ぼうとしているのか。就職や社会的地位という新たな取引のためでなければ、自分は「何のために」大学へ行こうとしているのか。こうした問いを繰り返しているうちに、いつの間にか、問いが次のような厄介な問いに変形していた。「知る」あるいは「学ぶ」とは、どういうことなのか。私は「何のために」生きているのか。私はこの現実の世界の中で生きていると確信しているが、「世界」とは何であるのか、「現実」とは何であるのか。こうした問いを発している「私」とは、そもそも何であるのか。こうした問いに押しつぶされまいと本を片っ端から読んでいるうちに、こうした問いに対する答えを見いだすために大学で学びたいと思うようになった。法学部志望を無意識のうちに刻印されていた私が哲学科志望へと豹変したのは、主としてこのような理由による。両親を含め周囲の者は「お金にならないことをする」と呆れ返っていたが、私にとっては、少しでも有利な取引をすることよりも、こうした問いのほうがはるかに切実な問題であったし、今でも切実な問題である。

   「学校」は、どこにでもある

 範囲が非常に限られている身のまわりの世界を除けば、当時の私が知っていた現実の世界は、学校や新聞やテレビなどに教えられた「現実の世界」であり、再現前化された「現実の世界」であり、「嘘」であった。再現前化された「現実の世界」という「地図」は常に「嘘」なのだから、本当のことを知ろうとすれば「現地」に赴かなければならない。大学に入学してからは、色々な世界に飛び込んで、色々なことを自分の目で見て、色々なことを自分で考えた。
 大学入学後の最初の二年間は、夏休みになると帰省して市役所でアルバイトをした。同和地区周辺の側溝・排水溝・水たまりに殺鼠剤や殺虫剤を噴霧あるいは噴射するという仕事を、失業者対策事業の一環だったのか、臨時職員の同和地区の人たちと一緒にした。もちろん、昼食も昼食後の短時間の昼寝も、身体に付着した殺虫剤を落とすための入浴も、彼/彼女らと一緒であった。最初は、殺虫剤にやられて赤くなった無数のボーフラが蠢く様を見て単純に感動していたが、そのうちに、粗末な住宅は別としても、住宅の立地条件や周辺環境の劣悪さに気づくようになった。そのとき、次のような疑問が次から次に生じた。どうして彼/彼女らは、これほど劣悪なところに、たとえば川のすぐ近くの湿地帯みたいなところに住んでいるのだろう。貧困だからだろうか。なぜ彼/彼女らは貧困なのだろうか。彼/彼女らには清掃や消毒の臨時職員のような仕事しかないのだろうか。就職差別があるからだろうか。彼女らの一人から休憩時間に漢字の読み方や意味をよく聞かれたが、彼女は学校へ行かなかったのだろうか。学校へ行くことができなかったのだろうか。どのような理由があったのだろうか。軽トラックすら入れないデコボコの未舗装道路が他の地区よりも多いのは、どうしてだろうか。行政が後回しにしているからだろうか。同和地区であることが容易に推測できる町名表示があるのは、どうしてだろうか。行政が部落差別を助長しているのではないか。町名から推測できなくても市民はどこが同和地区であるかを知っている。それはどうしてだろうか。……結局のところ、彼/彼女らは劣悪なところに住まわされているのではないか。「部落差別は残念なことに現実にありますが、差別はしてはいけません」と小学校以来教えられてきたが、このときまで私は、被差別部落の現実について何も知らなかったし、差別の問題を、誰かが誰かを差別するという次元でしか捉えていなかった。しかし、このときの僅かな体験から、差別の問題はそうした次元の問題ではなく構造的な問題であること、劣悪な住環境は構造的な差別の現象形態であるが、同時に構造的な差別を再生産すること、この再生産のゆえに差別は除去しがたい歴史的沈殿物として社会に根づいてしまうこと、差別の問題は差別されている側にとってのみ切実であること、自らの差別性に気づくのは容易ではないことなどを「自ら学んだ」と思っている。その後、問題意識を持ち続けようと思ったのか、もっと現実を知りたいと思ったのか、屠殺場近くの一部瓦屋根一部トタン屋根の畳四畳(!)台所二畳の貸家に、大学卒業まで住むことになった。
 ところで、このような「学び」は何を意味しているのであろうか。現前する世界に飛び込み、様々な具体的な関わりから「自ら学ぶ」ことによって、学校で教えられた「現実の世界」、すなわち再現前化された「現実の世界」という「嘘」が打ち破られ、この「嘘」から解放されて自由になることを、それは意味している。「嘘」が否定され、「嘘」から解放されるのには、ふた通りの場合がある。学校で教えられた「現実の世界」が現実の世界と極端に懸け離れていると思われる場合(劣悪な「嘘」の場合)には、学校で教えられた「現実の世界」は、文字どおり「嘘」であったと全面的に否定され、現前する世界の中で「自ら学んだこと」が「実」であると肯定されるであろう。学校で教えられた「現実の世界」が現実の世界と合致しているように思われる場合(優れた「嘘」の場合)には、再現前化された「現実の世界」がもっている「再」あるいは「代表的」という側面だけが否定される。何れであるにせよ、「学び」とは、このような否定を通じて「嘘」から自由になり、現前する世界の中で「私」を確立する営みである。
 もちろん、私はこのような堅いことばかり考えていたわけではない。むしろ、様々な人間を身近に見ながら、たわいもないことをとりとめもなく考えていたというのが本当のところである。実に様々な人間を私は学生時代に自分の目で見た。パチンコ屋に開店時間から並ぶパチプロと常連客(私もその一人であった)。競輪場や競馬場で一攫千金を夢見ながら一喜一憂する人たち(私もその一人であった)。競輪場の金網にしがみついて選手に罵声を浴びせかける客。暴力団の組長と幹部を警護のために取り囲む制服姿の若い組員たち。ノミ行為の客引きをする下っ端の暴力団組員と客。競輪場や競馬場の外でのサクラを使ったインチキ商売とそれに引っかかる客。キャバレーやナイトクラブでヌードショーに夢中になる社用族。その社用族がほとんど手をつけずに残した食べ物をゴミ箱からもっていくホームレス。ピンハネをするバンドマスター。楽屋で賭博行為に熱中するある有名歌手とバンドマン(私もその一人であった)。横柄きわまりないある有名歌手。電信柱の影でホステスの帰りを待つヒモ。泥酔して路上で寝ている中年サラリーマン。終電の中でゲロを吐く中年サラリーマンや失禁している中年サラリーマン。……。このような人間たちを目の当たりにして、私は疑問だらけになってしまった。金銭欲とは何だろうか。暴力団はなぜ存在するのだろうか。暴力団の組員にどうしてなるのだろうか。暴力団の組長や幹部はサラリーマンと同じようにスーツを着ているが、それはなぜだろうか。若い組員は制服を着ているが、それはなぜだろうか。このようなスーツや制服は何を意味する記号なのだろうか。男は女のヌードをなぜ見たがるのだろうか。女も男のヌードを見たがっているのだろうか。こうした欲求は、学習によって形成されたのだろうか。エロティシズムとは何だろうか。男性と女性はどういう関係にあるべきだろうか。食べるとはどういうことなのだろうか。働くとはどういうことなのだろうか。……。これらは、たわいもない問いかもしれないが、こうした問いの中には、今でも私にとっては切実な問いとなっているものもある。こうした問いに答えようと、私は今も「私」の「学び」を継続している。
 さて、現前する世界のまっただ中でこのような問いを自ら立て、それに対する答えを自ら見いだすことによって、再現前化された「現実の世界」という「嘘」を打ち破る営みが「学び」であるとするならば、本当の意味の「学びの場」は至る所にあると言ってもいいであろう。

   相対化と循環

 しかし、こうした「学び」には、次のような危うさが常につきまとっている。「私」の前に現前する世界は、確かに具体的ではあるが、常に限られた「私」の世界でしかなく、そのような限られた世界における「私」の学びは、制限性あるいは特殊性を決して拭い去ることができない。現前する世界へとアプローチする「私」の方法もまた、それが伝統的な○○学的方法であるにせよ「私」独自の方法であるにせよ、常に限られた方法でしかなく、そうした方法による「私」の学びは、制限性あるいは特殊性を決して拭い去ることができない。それにもかかわらず、このことを忘れ、それを何か普遍的な絶対的なものであるかのように思いなすとき、「学び」は単なる「独り善がり」に堕してしまう。我々は、このような危険を絶えず念頭に置いておく必要がある。個々人の「学び」の次元において「私」の「学び」がもっているこのような「私」性を自覚し、「私」の「学び」を相対化することが重要であるのと同様に、個別学問の次元においても、その制限性あるいは特殊性を自覚し、それを相対化することが重要である。そうした相対化のためには、「私」の学びと「他の私」の学びとを、あるいは、ある個別学問と他の個別学問とを「等価(gleichgültig)」と捉える開かれた態度が必要であろう。
 そもそも、普遍性をもった「学び」などというものは存在しない。このことを肝に銘じておく必要がある。というのは、現前する世界の特殊性とは、裏返せば、現前する世界にアプローチする「私」の視点の特殊性を意味するが、この特殊性を乗り越えようとして、西洋近代の科学(=学問)に見られるような、現前する世界から切り離された(=抽象的な)普遍的な観察者の視点などといったものを持ち出すことは、もはや許されないからである。「私」は現前する「世界」へとアプローチするが、「世界」へとアプローチする「私」は「世界」によって規定されているという循環的な意味において、「私」は常に既に「世界」に属しているのであり、こうした循環から抜け出した普遍的な視点などといったものは存在しえないからである。近年、対話や学際化の重要性が叫ばれているが、そこでは、こうした循環の問題をしっかりと踏まえた上で「私」的なものを相対化することが求められているのである。

絶対的な中心の不在――視点という「私」的なものの否定

 ところで、こうした相対化の必要性はよく分かるが、では相対化は一体どこまで徹底すべきなのであろうか。『荘子』の大宗師篇の中には、「夫れ知は待つ所ありて而る後に当たる。其の待つ所の者、特り未だ定まらざるなり(いったい認識は、その基準があってはじめて確かなものになる。ところがその基準がそもそも確定しないのだ)」という一文がある。この一文から明らかなように、荘子もまた、絶対的な中心や尺度の絶対的な不在を主張している。すなわち、荘子は「学び」を、制約された視点――私の視点、ある学者集団の視点、人間の視点――から、真偽・善悪・美醜・有用無用などを知る営みであると捉え、それゆえ、制約された視点に捕らわれた「蓬心(蓬草で蔽われ塞がれた心)」の所産にすぎないと見ている。しかし、荘子は絶対的な中心や尺度の絶対的な不在を単に主張するにとどまらず、さらに積極的に、絶対的な中心や尺度の絶対的な不在を生きることを主張している。すなわち、視点という「私」的なものを否定して「忘」あるいは「無」の境地に住まうこと、言い換えれば、あらゆる対立や差別から絶対的に自由となり、万物を斉同と捉える「游心」という生き方を積極的に主張している。『老子』第六四章の「学ばざるを学ぶ」という一文も、これと同様の主張であり、老荘は、「学び」の相対化は「游」にまで徹底化されるべきであると述べている。「学び」の相対化は、非現実的ではあるが、原理的にはここまで徹底すべきであろう。このことは頭では分かっているのだが、しかし現実には、「私」的なものがしばしば顔を出し、なななかそのようにはいかない。

   再び私の日常から

 我が家には小学校四年生の男の子がいるが、毎日のように彼に投げかけている私の愚かな言葉をいくつか拾い上げてみよう。「歯を磨いたか」、「忘れ物はないか」、「宿題は済んだか」といった、確認という名の管理の言葉。「テストで百点を三回取ってきたら、ゲームのソフトを買ってあげよう」、「プリントを一枚やったら、ゲームは三十分してもいい」といった、利益誘導型の取引の言葉。「君は今日、五分も勉強したものネー、すごいネー」、「ゲームをするときみたいに真剣に勉強したら、成績が良くなるのにネー」といった、皮肉によって願望と非難を表現する言葉。「親の言うことが聞けないような子は、家の子じゃない」、「あれもこれも欲しいというのであれば、お金持ちの家の子になりなさい」といった、絶縁をほのめかして断念へと誘導する言葉。「子どもは勉強するのが仕事だ」「学校へ行くのは当たり前だ」といった、理由づけの欠落した断定の言葉。「勉強しなさい」、「食事のときは姿勢をよくしなさい」、「字をもっと丁寧に書きなさい」といった、理由づけの欠落した命令の言葉。「ちゃんと勉強しないと、コンビニの前でたむろしている茶髪のお兄ちゃんみたいになるぞ」、「ゲームばっかりしていると、アホになるぞ」といった、託宣まがいの予言による脅迫の言葉。「お父さんの言うことを聞かないのだったら、お父さんも君の言うことを聞かないからね」といった、報復の予告によって従順を強要する言葉。「誰に向かって口をきいているのだ」、「言うことを聞きなさい」といった、親である自分が絶対者であることを宣言する言葉。沈黙や視線によって服従を強制する無言の言葉。もちろん、これ以外にも、私自身がかつて両親に言われた様々な言葉を彼に投げかけている。彼が「うるさいなぁ」と言うのも当然である。
 ところで、私の言葉の多くは「お勉強」へと向かっている。私の言葉は、「お勉強」の世界、つまり取引の世界へと彼を押し込めようとするものである。私は、彼を素材のように見なし、素材としての彼を、より有利な取引ができるモノへと、あの手この手を使って変形しようとしている。また、私は「嘘」の世界に彼を閉じこめようとしている。私はどうかしてしまったのだろうか。そういったことを、私はかつて否定したのではなかったのか。私の言葉の多くはまた、彼を意のままにしようとする「私」を絶対的な中心にして発せられたものである。彼は、小学校四年生とはいえ、彼なりの仕方で現前する世界に立ち向かい、私とは違った形で様々なことを自ら考え、自ら学んでいるはずである。それにもかかわらず、私は、彼の考えや学びを私の考えや学びと等価であるとは見なさず、「私」を絶対化してしまっている。これはどうしたことだろう。そうした危険を、私は理解していたのではなかったのか。
 さて、私が愚か者だというのは重々承知しているが、首尾一貫しえない私の態度は、どのように考えればよいのであろうか。私が現在直面している切実な問題は、実はこの問題である。子どものことは自分のことと同じようにはいかないものだとか、現実は頭で理解しているようにはいかないものだと訳知り顔で言って、この問題をおしまいにしてしまうのは簡単である。また、「取引所」育ちの身には「取引」が身に染みついており、頭で少々否定したぐらいでは、この染みは落ちないのだと弁解じみたことを言うのも簡単である。それらが必ずしも的外れでないことは正直に認めるが、私は、この問題を次のように考えてみた。「嘘」の世界が「嘘」であることを彼自身が見抜くためには、また「取引」の世界が真の「学び」の世界ではないことを彼自身が見抜くためには、そしてまた、「嘘」や「取引」から解放された真の「学び」に彼自身が気づくためには、そのような世界に彼自身が入らねばならない。彼の「学び」は「彼」のものだからである。それゆえ、自由を獲得させるために鋳型に填め込む(自由を奪う)という態度は、一見したところでは首尾一貫していないように見えるが、不合理なことではないのだと考えてみた。このような考え方は、音楽や絵画など芸術の分野においては頻繁に見られるものであり、それ自体としては、それなりの説得力をもっているように思う。
 しかし、このような考えを持ち出してくるのは、自分でも詭弁のように感じられる。ある視点から再現前化した世界を教える場としての学校は、「私」的なものを強要する世界であり「嘘」しか教えないことを、また、現在の大多数の学校が「取引」の世界と化していることを「私」は学んだのだから、その「学び」に対して自信があれば、私は、彼をそのような悲劇的な世界にわざわざ引きずり込まずに(学校などに行かせずに)、現前する世界のまっただ中で「自ら学ぶ」に任せることができたはずだとも思えるからである。そのように振る舞わないで先ほどのような考えを持ち出してくるのは、確かに、自らの自信のなさを糊塗する詭弁のように感じられる。こうした自信のなさのゆえに彼に「普通の道」を歩ませている、という側面がないとは言い切れない。しかし、自信がないということだけではこの問題は片づかないであろう。たとえ私がそのように振る舞ったとしても、私は、私の視点から見た世界という「私」的なものを、彼に強制していることになるからである。というのは、学校に関して私が学んだことは、学校と学校以外の世界という、かつて「私」に対して現前していた世界の中で、「私」が「私」の視点から学んだものだからである。
 私は、今、「私」の「学び」と「彼」の「学び」との関係をどのように考えるべきかという切実な問題の前で、答えを見いだせずに立ち止まっている。「私」の「学び」は、決して完結することなく今後も継続されるであろう。そう、「学び」とは完結しないものだからである。しかし、これは「私」の問題なのであって、「彼」の問題なのではない。彼の立場からすれば、学校によって「私」的なものを強制されようが、父親である私によって「私」的なものを強制されようが、「私」的なものを強制されることには変わりないのであるから、それはどうでもいいこと(
=等価)[gleichgültig]である。彼にとって重要なのは、現前する世界のまっただ中で彼自身が「学ぶ」ことである。というのは、「学び」は常に「私」の「学び」であり、「私」を確立する営みだからである。ところで、あなたは「あなた」の「学び」をしていますか。

参考図書

 この本もそうですが、学校と同じように、本には「嘘」しか書かれていないことを忘れさえしなければ、どのような本を読んでも多少は参考になるでしょう。「あなた」の前に現前している世界そのものが、「あなた」の「学び」の源泉であることを忘れないように。


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