大阪府「まなびング」サポート事業について

――体験型学習とロゴス化――

On the School Volunteer Program in Osaka Prefecture

              キーワード 体験型学習、地域支援・地域連携、ボランティア活動、学校インターンシップ、ロゴス化

はじめに

 「遅れ」という言葉は、通常は、時流からの遅れという表層的な意味で用いられるが、筆者は、問題解決に向けての真摯な思考が本質必然的に求められているにもかかわらず、それがなされていない状態を「遅れ」だと考えている。「遅れた大学」の前には、熟慮・検討・解決すべき問題が山積している。「遅れた大学」は、真摯な思考が欠損しているために問題の前を解決することもなく素通りしてしまうことによって、時流からも遅れるという、二重の意味で「遅れた大学」のままでいることも可能である。また、山積する問題をひとつひとつ地道に解決することによって、二重の意味で「遅れ」を取り戻そうとすることも可能である。

以下においては、大阪府「まなびング」サポート事業に関する本学の取り組みに関わる中で筆者が感じたことを、少し述べてみようと思う(1)。

1.「まなびング」サポート事業の概要

 2003(平成15)年度から3年間の期限付きで開始された大阪府「まなびング」サポート事業は、協力大学が大学生サポーターを公立小・中学校に派遣することによって、公立小・中学校を支援するという事業である。大阪府教育委員会(以下府教委と略す)は、この学校支援事業の狙いを「子どもたちの学びの場の充実」「学校の活性化」「教員を志す学生の学びの場」であると説明している。

 2003年度の集計によれば、関西の41大学から合計751名の大学生がこの事業に参加している(小学校に573名、中学校に178名)。大学生たちは、大学内で開催されるガイダンス等でこの事業の趣旨説明を受け、府教委からそれぞれの大学宛に送付されてきた受け入れ希望公立小中学校のリストを見て、自分で公立小中学校とコンタクトを取り、面談の結果、契約が成立すれば、活動内容等について事前打ち合わせをしたうえで、サポーター活動に入る。想定されている大学生の活動内容は以下のとおりである。教科指導の補助(個別指導・授業補助・実験実習補助・実技指導補助)、総合的な学習の時間の指導補助、パソコン指導補助、図書館教育指導補助、英会話・英語活動補助、学級活動・学年活動、休み時間放課後の活動(児童との遊び)、行事の補助(校外活動・体育的行事・学芸的行事等)。大学生たちは、1回2時間以上、年間35回以内という条件のもとで、これらの活動に携わっている。

2.「まなびング」サポート事業の問題点

「まなびング」サポート事業は、おおむね問題なく事業展開されていると思われるが、問題がないわけではない。府教委主催の「まなびング」サポート事業協議会の席では、協定・覚書締結大学および協力大学から、以下のような問題点の指摘があった。サポーター大学生を目的外に利用するなど、受け入れ目的の不明確な小中学校が存在すること。「養護学級の補助、水泳、中学校の部活動、宿泊を伴う学校行事」はサポーター活動の対象外であるとされているが、現場の小中学校では、それが必ずしも徹底されていないこと。校長はサポーター大学生の受け入れを希望しているが、多くの教諭はそれに反発しているといった小中学校内の不統一のために、サポーター大学生が困難な状況に置かれることがあること。公立小中学校⇔市教委⇔府教委⇔大学⇔大学生という複雑な情報流通経路のために迅速性に欠けること。協議会では、以上のような問題が指摘された。しかし、筆者は、それよりももっと根本的な問題が幾つかあると考えている。

3.連携活動としての「まなびング」サポート事業

一つは意図の不明確さという問題である。「まなびング」サポート事業には幾つかの要素が混在しているために、一義的な仕方ではその意図を把握することができない。上述したように、府教委は「子どもたちの学びの場の充実」「学校の活性化」「教員を志す学生の学びの場」という三つの狙いを挙げているが、それを鵜呑みにすることはできない。というのは、この事業の意図は、関連する他の事業との関係の中で読み取られるべきであるし、(大阪府下の)公立小中学校が置かれているさまざまな状況の中で読み取られるべきであるからである。

「まなびング」サポート事業は、グッド・スタートプラン、「まなびング」サポート事業、自学自習・家庭学習支援、小中一貫教育推進事業から成り立っている「学力向上プロジェクト」の中の一つの事業であると同時に(背景には文部科学省の「学力向上アクションプラン」がある)、優れた知識や技能を有する多様な人材を学校教育に活用する学校支援人材バンク」制度や、教職員自主研修支援制度「大学等オープン講座」などといった制度とも連関している事業である。このような連関から見えてくるのは、家庭の教育力不足・小中学校教諭の高齢化・小中学校教諭の指導力不足という問題である。

「まなびング」サポート事業には、若くて元気な人材であるサポーター大学生を教諭の補助として補完的に活用することによって、こうした問題を解決しようという意図がある。大阪府の広報誌『府政だより287』(H.15.11.01)は、「まなびング」サポート事業の趣旨を、「大学生サポーターによる学習の手助けや勉強方法のアドバイスにより、学力の向上と自学自習力の育成を図る」ことであると説明しているが、これは裏返して言えば、「子どもたちの学びの場」は充実しているとは言いがたく、「きめ細かな指導」に関しては(大学生を含む)学校外の人材によって補完されなければならない状況であるし、「学校」は、学校の構成員の力だけではもはや活性化できず、学生の「若さ」や「熱心な姿や新鮮な感覚」に頼らなければならないほどの状況にあるということである。

「まなびング」サポート事業は、このような観点から解釈するならば、「学校教育の再構築」という理念のもとに、小中学校教諭・児童生徒・保護者を支援することを目的とした府教委・市教委と大学との連携活動であると考えることができる。筆者は、このような府教委の姿勢を、実は、非難するどころか大いに評価している。というのは、「学校の閉鎖性」の一因でもあった、学校の「自己完結性」という考え方を明確に否定しているからである。大学は自己完結的でありうるという幻想をいまだにもっている大学関係者は、このことをしっかりと受け止めるべきである。というのは、大学もまた決して自己完結的な存在ではないからである。

 しかし、「まなびング」サポート事業には、府教委の担当者は否定しているが、別の意図もあると筆者は考えている。2003年8月23日の毎日新聞は、「まなびング」サポート事業の背景には「学生が教職への向き不向きを自己評価できる機会を増やすことで、良質な人材確保につなげたい狙い」があると説明したうえで、紹介記事を以下のように締め括っている。「小学校では最近、50代の教諭が定年前に早期退職する傾向があり、現場の教員不足が全国的に問題になっている。派遣事業はこれを補う側面もある」、と。

 協議会の席上で府教委の担当者はこれを否定していたが、「まなびング」サポート事業が人材確保策という側面をもつことは否定しがたいと筆者は考えている。というのは、大阪府では「教員大量採用時代」が到来するからである。

ある府教委関係者は、昨年度の研究報告書の中で、「大阪府では教員の高齢化が進む一方で、早期退職教員の増加と、さらには数年後には、団塊の世代が退職時期を迎えるということもあり、向こう10年間、計画的な新規採用教員の確保が必至である。近年のうちに大きく世代交代が始まる中で、優秀な熱意溢れる教員をめざす学生の養成は、大阪府教育委員会としても重要な課題である」と書いている。また、大阪府の2003年5月26日の定例議会において、竹内脩教育長は「大学院へ進学を予定する大学4回生が教員採用試験に合格した場合、大学院修了まで待って採用する新たな制度の実現を検討する」と発言している。「まなびング」サポート事業は、「単位認定を含む学校インターンシップとして位置づける」ことが原則であり、「(教育)実習の心構えを作り準備を促すプレ教育実習として、あるいは教育実習の成果をさらに深化するためのインターンシップ〔=ポスト教育実習〕として」位置づけて欲しいという府教委関係者の発言や、受け入れ小中学校には「将来教員を目指す学生を育てるという役割」を担って欲しいという発言もある。

こうした一連の発言を踏まえれば、「教員を志す学生」の、教育実習とは違った「学びの場」の創設を狙いとする「まなびング」サポート事業は、就業体験(インターンシップ)を通して優秀な教員を養成・確保することを目的とした府教委・市教委と大学との連携事業であると言うことができるのではないだろうか(教員採用候補者の事前研修と捉えるならば、それは接続事業であると捉えることもできるであろう)。

大阪府・大阪市公立学校教員採用選考テストの面接テストの前日にあたる2004年7月16日に開催された協議会では、選考テストに際しては「まなびング」サポーター経験を評価して欲しいという教員養成系大学の学生たちの声が紹介された。教員養成系大学の学生たちは、府教委がいくら否定しようが、「まなびング」サポート事業に人材確保策という意図が隠されていることをしっかりと嗅ぎつけているのである。だが、そのような隠された意図を嗅ぎとったうえで行われるボランティア活動は、果たしてボランティア活動という名に値するのであろうか。

4.体験型学習の機会としての「まなびング」サポート事業

 「まなびング」サポート事業は、「単位認定を含む学校インターンシップとして位置づける」ことが原則であるが、単なる「ボランティア」活動として位置づけることも可能であり、どのように位置づけるかは、実は、大学に任されている。2004年6月現在、60大学がこの事業に参加しているが、学校インターンシップとして位置づけているのは3大学のみであり、本学もそうであるが、ほとんどの大学は「ボランティア」活動として位置づけている。

「まなびング」サポート事業を、学校インターンシップではなく学校ボランティア活動として位置づけること認めることは、「まなびング」サポート事業が、教職希望学生だけでなく、(現在活動中の大学生の大半は教職希望学生であると推測されるが)一般学生にも開かれていることを意味している。一般学生にまで開かれた学校ボランティア活動としての「まなびング」サポート事業は、小中学校教諭・児童生徒・保護者支援という性格は依然として持ちうるが、教員養成・教員確保という性格はもはや持ちえない。その場合、「まなびング」サポート事業は、教職希望の有無とは関係なく「学生の学びの場」を提供するという意味を持つであろう。しかし、その場合の、大学生の「学び」とは一体どのようなものであろうか。

2004年7月16日に開催された協議会において、和歌山大学教育学部の松浦善満教授は「多様な学校支援のあり方」と題する講演を行い、その中で、学校と子どもへの支援活動(スクールボランティア活動)が、「1980年代からアメリカの大学で盛んになったサービス・ラーニング(Service Learning)」と類似した活動になる可能性があることを指摘した(2)。ボランティア活動は「提供する側からの一方的な奉仕活動(サービス)」であるが、これに対して、サービス・ラーニングは、奉仕活動(サービス)を行いながらも、「それを受ける側から学ぶ」もしくは「活動自体から学ぶ(ラーニング)」という双方向な性格にその特徴がある。一般学生にまで開かれた学校ボランティア活動としての「まなびング」サポート事業は、確かに、このようなサービス・ラーニングの機会もしくは体験型学習の機会を提供するという側面を持っているのかもしれない。しかし、大学生の「学び」をサポートする教育体制が十分整っていなければ、それは単なるボランティア活動の域をほとんど超えることがないのではないだろうか。

最近の大学生は、ソーシャル・スキルが欠落するなど、その社会性に問題があるとしばしば言われる(3)。しかし、筆者は必ずしも問題があるとは思っていない。大学生たちは、(親や教師たちに伝えようとはしていないが)アルバイト活動や課外活動を通して、それなりのことを「自ら学んでいる」からである。しかし、それらの「学び」は、確たるプログラムに基づいているわけではないのであるから、偶然的であったり、表面的であったり、独りよがりであったりする可能性がきわめて高い。学校ボランティア活動としての「まなびング」サポート事業にしても、大学が大学生を単に小中学校に派遣するだけというのでは、これと同じことになってしまうであろう。「まなびング」サポート事業を、有意義な体験型学習の機会とするためには、大学関係者と学校現場および教育行政との密接な連携関係の構築、アメリカのサービス・ラーニング・プログラムのようなしっかりとしたプログラムの策定といったことが必要であると思う。しかし、「まなびング」サポート事業は、残念ながら、現時点ではそうしたレベルにまで到達しているとは言いがたいのではないか。

5.体験とロゴス化

 「まなびング」サポート事業をサービス・ラーニングのような体験型学習とするためには、関係者の連携関係とプログラムの策定が必要だと上で述べたが、では、体験型学習プログラムを策定する際に、何が最も重要視されるべきであろうか。

 小中学校では2002年度より、高等学校では2003年度より、「自ら学び、自ら考える力の育成」「学び方や調べ方を身に付けること」を狙いとする「総合的な学習の時間」が本格的に始まり、問題解決型学習や自然体験・社会体験・職業体験などの体験型学習の事例が相当数紹介されるようになった。しかし、筆者が(子育てなどを通じて)見聞したのは、何をどのように調べるかが、あるいは、何をどのような枠組みでどのように体験すべきかが教師によって事前に決められてしまっている事例や、ただ単に体験して感想文を書かせるだけの事例であった。それらは、「自ら考え」「自ら学ぶ」という狙いからほど遠いものであった。多くの大学で行なわれている体験型学習もまた、これと同じではないかと筆者は危惧している。

 「まなびング」サポート事業における学校ボランティア体験にしても、それを「自らの学び」に変えるためには、大学生自身が自分自身の体験を深く捉え直してロゴス化する営みが重要であると思う。養老孟司は「第3回ブロードバンドシンポジウム」の基調講演の中で、実に興味深いことを述べている。「言葉にするのは情報化する能力。学問とか勉強は、情報化する作業そのものだ。……すべてを意識化していくベクトルが学問といえる。教育は、自分でそれができる人を養成することが目的だったはず」(4)、と。養老が指摘しているのは、IT社会を生きている現代の若者は、言語化されたものを処理することはできても、言語化することそれ自体ができていないという根本的な問題である。養老のこの根本的な問題指摘に、大学人はどれほど真摯に応答しているのであろうか。

また、「大学本来の営みは現象のコトバ化と、コトバによる現象の理解である」のだから、「体験を知的営みの本質である『コトバ化』に連接すること」を教育課程に組み込めていない大学教育は「欠陥品」であるという、絹川正吉大学教育学会前会長の、厳しいようにも聞こえるが、至極当たり前の指摘に、大学人はどれほど真摯に応答しているのであろうか(5)。

大学においても課題解決型学習や体験型学習が流行っている。そうした時流に乗り遅れている大学は多いであろう。しかし、そのような「遅れ」は、どうでもいい「遅れ」である。大学というものの本質から必然的に要求されているもの(=ロゴス化)に、いまだに応答できていないという「遅れ」こそが、実は問題なのである。ロゴス化の営みを学生に保証するプログラムや教育支援体制を再構築することが、現在の日本の大学には求められているのだと思う。

(1) シンポジウムの席上では、本学の取り組み状況と問題点に言及したが、紙幅の関係上、ここでは割愛させていただく。また、シンポジウム終了後に得た情報を付け加えていることもお断りしておきたい。

(2) サービス・ラーニングに関しては、佐々木正道編著『大学生とボランティアに関する実証的研究』(ミネルヴァ書房、2003年6月、第V部第9章、第10章)を参照されたい。特に、第10章「授業としてのサービス・ラーニング」では、アメリカのプロビデンス大学のサービス・ラーニングのプログラムが詳しく紹介されており、大いに参考になった。

(3) 原稿執筆中に、京都大学は、8月17日、学生ボランティアを小中学校などに派遣し、授業や部活動を支援する「学校サポート事業」に参加する協定を京都市教育委員会と結んだというニュースが、東山紘久副学長の「学生の社会性の育成につながれば」と期待しているというコメントとともに配信されてきた。このコメントも同類である。

(4) 2004年3月29日朝日新聞朝刊、13版25面

(5) 絹川正吉「優れた大学教育とは」(『大学と学生』、文部科学省高等教育局学生課編、2003年11月10日発行、第469号、所収)12頁。ここでは絹川は「コトバ化」という表現を用いているが、シンポジウムUの直前に実施された「話題提供」では「ロゴス化」という表現を用いている。(絹川の意図と合致するかどうかは分からないが)筆者は、ロゴス化という表現を、コトバによる表現などといった表面的なことではなく、分節化・抽象化・概念化・論理化といった意味で理解している。体験型学習とロゴス化の問題については、拙論「体験の教育的意味」(『「特色ある教育」平成15年度報告集』、追手門学院大学、2003年3月、http://www.res.otemon.ac.jp/~yamamoto/works_2/essay_09.htm)を参照されたい。

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