僕のプロフィール

 1954年1月27日、高知県高知市上町2丁目(坂本龍馬の生誕地のすぐ近く)で仮死状態で生まれました(どういうわけか、息子も仮死状態で生まれました)。

 土佐中学校・高等学校をどうにか卒業後(高校2年生の途中から学校に行かず、喫茶店やパチンコ店に通っていたため、出席日数が足りなくて相当ヤバかった)、京都で一年間、ジャズ喫茶とパチンコ店に入り浸るというハチャメチャな浪人生活を送った後(しょうもないことですが、96時間の不眠記録をこのとき達成しました)、大阪大学文学部に入学。哲学科に進みました。その後、大阪大学大学院文学研究科修士課程(哲学・哲学史専攻)を修了し、博士課程に進み5年目に満期退学となるまで、11年間を大阪大学で過ごしました。

 一応は勉強もしましたが、10年間ほど大阪大学軽音楽部(New Wave Jazz Orchestra)に在籍していたというほうが正確なのかもしれません。いやいや、大学の一年生の時から修士課程の頃まで、大阪のキタやミナミのダンスホール・キャバレー・ナイトクラブでバンドマンをしていましたから、そちらが本職であったというほうが最も正確ですね(バンドマンなんて言葉はもう「死語」ですよね、今の若者だったらミュージシャンなんて言うんでしょうが、その当時の雰囲気からすれば、やっぱりバンドマンという言葉がふさわしいような気がします。)特に、大学四年生の頃までは、ジャズとパチンコ・競輪・(楽屋で休憩時間にする)ポーカーに夢中になり、大学の授業からは足が遠のいていました。(実は、もっと夢中になったものがあるんですが、残念ながら、ここには書けません。ちょっとマズイ。)

 そんな僕ですが、現在は、バンドマンにもギャンブラーにもなれず(!!)、追手門学院大学社会学部社会学科で大学の教師をしています。



僕のプロフィール(その2)
やまもと・ひろし
◆追手門学院大学人間学部社会学科教授。1954年高知生まれ。1984年大阪大学大学院文学研究科(哲学・哲学史専攻)単位取得満期退学。追手門学院大学文学部講師・助教授を経て97年より現職。文献解釈しかしない哲学研究、西洋哲学しか視野に入れない哲学研究、歴史を忘却する哲学研究、現実を踏まえない哲学研究。こうした哲学研究を唾棄することがモットー。学生時代は、キタやミナミのダンスホール・キャバレー・ナイトクラブでバンドマンとして活躍。震災後から、松下電器産業生研スイングバンドの一員として再びトランペットを吹いている。趣味は、ほかにパチンコと釣り。
(『女性・戦争・人権 3』(行路社)に執筆した「自己理解と媒介の不在」に寄せたプロフィール)


僕のプロフィール(その3)
◆教育及び研究活動の方針
自らを語った文章や自己PRの言葉は、それがどのようなものであるにしても、また本人がどれほど誠実であろうとしても、「嘘」です。「虚構の物語」です。語られた「私」は、もはや私ではありません。言葉による「語り」」にも、言葉による「理解」にも限界があります。言葉は無力なものです。ですから、以下に書いてあることは、そこに示されている論文も含めて、「嘘」です。
私の教育方針は、身近な現実から哲学することを提示することです。私の研究活動の方針は、自らの現実にしっかりと足をつけて哲学すること。私がどのような「学び」や「学問」を考えているかは、私のホームページに収録されているニつの論文、
「学びと私」「自己理解と媒介の不在」を参考にしてください。
(追手門学院大学発行の『研究者総覧』に書いた自己PRの文章です)

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