代理母に関する年表

この年表は、草野いずみ作成「生殖技術関係年表」(『ア・ブ・ナ・イ生殖革命』、有斐閣選書)をもとにして、新聞記事などにより作成した。1990年以降は、現在作成中である。

1980.11.14  ケンタッキー州ルイビルの30代後半の建築会社重役夫妻は、妻が卵管閉塞のため、医師リチャード・レビン博士の勧めにより、「当方の精子で人工授精を受け、出産した子どもを当方に引き渡して下さる女性を求む。謝礼を呈す。」という広告を地方紙に掲載。代理母になることを夫も同意していた、代理母ケーン夫人(37歳・3児の母)が、3800gの男児を出産する。同地の代理母親協会によると、数十人の代理母が妊娠中とのこと。費用は、謝礼・出産費用・手数料・親権放棄の法手続き費用を含めて2万ドル。 
1984.08.02 オーストラリアで代理母が、生まれた子どもの引渡しを拒否、裁判ざたになる。
読売8月2日
1985.01.04 イギリスで有料の代理母が人工授精により女児を出産。子どものできない夫婦のためで、費用は約420万円。
1985.07.00
イギリス代理母契的規制法
1986.03.17
アメリカで不妊の夫婦の体外受精卵を第三者の代理母に移植して出産する(借り腹)初めての試みに対し、子どもの法律上の親は依頼者夫婦であるとの判決出る。
朝日3月17日
1986.08.22
アメリカ・ニュージャージー州で、人工授精による代理母となって出産した女性が依頼主夫婦に対し、謝礼金の受け取りを拒否し、赤ん坊の返還を求める訴えを起こしたベビーM事件発生。代理母となったのはブリックタウンシップ在住のメアリー・ホワイトヘッドで、彼女はニューヨーク不妊センター新聞広告に応募し、同州テナフライの生化学者ウイリアム・スターン/小児科医の妻エリザベスと謝礼I万ドルで代理母の契約をする。代理母によるアメリカでの出産例はこの10年間で500件に達すると言われる。
朝日8月24日
1986.09.10 アメリカ不妊学会が新しい不妊治療についての初の指針を発表。人工授精や体外授精を倫理的にも許容できると認定する一方、代理母や受精卵の冷凍、産み分けなどについては試験実施に限定することを勧告。
毎日9月10日
1986.09.11
アメリカ、ベビーM事件で、赤ん坊の返還を求める代理母の訴えが却下され、週2回だけの面会が認められる。代理母契約の有効性をめぐる争いは継続中で、親権の決着はまだつかず。
中日9月11日
1987.03.14 イギリス高等法院家族部は、代理母を引き受けて出産後、依頼主への赤ん坊の引渡しを拒否していた女性に育てる権利を認める。
読売3月14日
1987.04.01 アメリカのベビーM事件で、ニュージャージー州裁判所が、代理母契約を有効とし、依頼主側に親権を認める判決を下す。
朝日4月1日
1987.07.28 シンガポールで、脳死の夫の子どもを産むため、妻が夫の睾丸を医師に頼んで摘出し、話題となる。同国では代理母は認めていないが人工授精は許可している。
読売7月28日
1987.12.25 代理母契約で生まれた子どもが障害児やエイズウイルス保有者だったりしたため、依頼者と代理母の双方が受け取りを拒否するなどのトラブルが増え、全米で法規則の動きが起きる。
産経12月25日
1988.01.07 西ドイツ・ヘッセンの行政裁判所は、フランクフルトでアメリカの代理母提供機関の紹介、斡旋を行っていた出先事務所に対し、閉鎖を命ずる判決を下す。同事務所の活動は西ドイツの養子法に違反するとの判断。
読売1月7日
1988.02.04 アメリカ・ニュージャージー州の最高裁判所はベビーM事件で、下級審判決を覆して「代理母契約は金銭による養子縁組、乳幼児売買を禁止した州法に反し無効」とする判決を下す。これで代理母の親権が回復され、依頼主とベビーMとの養子縁組は無効となったが、養育権は生活の安定している依頼主夫婦に与えられ、代理母には訪問権が認められた。
朝日2月4日
1988.04.21 アメリカで代理母第1号となったエリザベス・ケインさんがその体験を著した本『バース・マザー』を出版。代理母になったのは間達い、代理母制度は禁止されるべきという告発の書。
毎日4月21日
1988.11.09 イタリアで48歳の女性が再婚した夫との間で体外受精した受精卵を20歳の実の娘に移植して代理母とし、娘が出産したことが明るみに出、国中で非難のあらしに。
毎日11月9日
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

前のページに戻る