人工授精・体外受精に関する年表

この年表は、草野いずみ作成「生殖技術関係年表」(『ア・ブ・ナ・イ生殖革命』、有斐閣選書)をもとにして、新聞記事などにより作成した。1990年以降は、現在作成中である。

1949.08.00 AID(非配偶者間人工授精)による日本での第1号児の出生。
1978.07.25 イギリス・マンチェスター市郊外のオールダム総合病院で体外受精児世界第1号ルイーズ・ブラウンが帝王切開により誕生(2600g)。前年10月、卵管異常のため正常妊娠不可能とされた妻レズリーの卵巣から卵子を採取し、夫ギルバートの精子で受精させ、5日後子宮に戻し、着床。反対論・時機尚早論が出る。翌日、バチカン当局は「自然の摂理に反する根元的悪」と主張。また、卵子の体外取り出しと培養時の危険性が解決されない間は「実験」すべきでないとの科学者からの慎重論も。
1983.03.13 東北大産婦人科、体外受精による妊娠に日本で初めて成功。
1983.04.00 徳島大医学部倫理委員会、「体外受精に関する倫理基準」を作成。体外受精の臨床応用を条件付きで承認。
1983.04.00 日本産科婦人科学会、「体外受精等に関する委員会」設置。
1983.05.00 イギリス医師会、体外受精に関するガイドライン公表。
1983.05.00 オーストラリアで凍結受精卵を用いた体外受精成功。
1983.06.00 日本産科婦人科学会、「体外受精・胚移植に関する見解」を決定。
1983.10.14 東北大医学部付属病院で日本初の体外受精児(2544g/44cm/女児)誕生。産婦人科の鈴木雅洲教授のグループにより、2月に体外受精し、着床、帝王切開によって出産。
1984.04.00 アメリカ不妊学会、夫以外の精子、妻以外の卵子による体外受精を認めた体外受精倫理基準を学会誌に発表。
1984.06.18 飛行機事故で死亡した資産家夫妻がオーストラリアの病院に残した体外受精の凍結受精卵の処置と相続権について英国紙が報道し、話題になる。
読売6月18日
1984.08.02 オーストラリア人工授精法が発効。
1985.03.00 スウェーデン人工授精法施行。人工授精児に生物学的父を知る権利を認める等の内容。
1985.10.26 体外受精で双生児が誕生。日本で初めての体外受精による多胎妊娠、出産。
読売10月26日
1985.11.00 日本産科婦人科学会、体外受精・胚移植の臨床実施についても登録報告制を採用。
1985.12.20 オーストラリアで、冷凍卵子による体外受精、妊娠に成功。冷凍受精卵の体外受精、出産の例はあるが、冷凍卵子による妊娠は世界初。
日経12月20日
1986.03.17 アメリカで不妊の夫婦の体外受精卵を第三者の代理母に移植して出産する(借り腹)初めての試みに対し、子どもの法律上の親は依頼者夫婦であるとの判決出る。
朝日3月17日
1986.05.29 日弁連、「医の倫理委員会」(体外受精や臓器移植など先端医療に伴う問題を協議するため、各医療機関に設置されつつある)を人権重視の立場から実態調査すると発表。
朝日5月29日
1986.07.15 オーストラリアで、冷凍卵子の体外受精による世界で初めての出産。子どもは男女の双子。
朝日7月15日
1986.07.18 日本初の体外受精児を誕生させた鈴木雅洲東北大名誉教授が体外受精など不妊治療のための専門病院スズキ病院を宮城県岩沼市にオーブン。
読売7月18日
1986.07.26 埼玉県越谷市立病院で実施の「簡便な体外受精」ギフト法(配偶子卵管内移植)の妊娠率が4割に達したと日本受精着床学会で発表。
朝日7月26日
1986.08.22 アメリカ・ニュージャージー州で、人工授精による代理母となって出産した女性が依頼主夫婦に対し、謝礼金の受け取りを拒否し、赤ん坊の返還を求める訴えを起こしたベビーM事件発生。代理母となったのはブリックタウンシップ在住のメアリー・ホワイトヘッドで、彼女はニューヨーク不妊センター新聞広告に応募し、同州テナフライの生化学者ウイリアム・スターン/小児科医の妻エリザベスと謝礼11万ドルで代理母の契約をする。代理母によるアメリカでの出産例はこの10年間で500件に達すると言われる。
朝日8月24日
1986.08.11
インドで初めて医学会で正式に認められた体外受精児が誕生。
朝日8月11日
1986.09.10 アメリカ不妊学会が新しい不妊治療についての初の指針を発表。人工授精や体外受精を倫理的にも許容できると認定する一方、代理母や受精卵の冷凍、産み分けなどについては試験実施に限定することを勧告。
毎日9月10日
1986.09.03
イタリアで、卵巣のない女性が出産。夫の精子と提供者女性の卵子を体外受精して受精卵を移植し(借り卵)、ホルモン投与により妊娠させたもの。
毎日9月8日
1986.12.01
イタリアで産み分けと体外受精を組み合わせて女児出産。
朝日12月1日
1987.04.06
南アフリカで48歳の女性が、実の娘夫婦が体外受精した受精卵を移植して代わりに妊娠。
朝日4月6日
1987.04.05
京都大医学部産婦人科の調査では、これまで全国で体外受精による妊娠が142例、47人が誕生していると、森崇英教授が日本医学会総会で発表。同教授はまた体外受精に凍結受精卵の使用を認めるよう倫理基準の検討が必要であると述べる。
1987.04.03
日本初の体外受精児を誕生させた鈴木雅洲東北大名誉教授が、夫以外の精子を使った体外受精(非配偶者間体外受精)の実施のため、これまでの体外受精の倫理基準を改めるよう日本医学会総会で提案。
朝日4月3日
1987.05.00
名古屋の産婦人科病院で、個人病院としては初の体外受精児が誕生。
毎日6月17日
1987.05.08
イギリスで、実の姉妹から提供を受けた卵子に夫の精子を体外受精した受精卵を移植して妊娠した例で2件が出産。どちらも双生児。
東京5月8日
1987.07.28
シンガポールで、脳死の夫の子どもを産むため、妻が夫の睾丸を医師に頼んで摘出し、話題となる。同国では代理母は認めていないが人工授精は許可している。
読売7月28日
1987.11.05
東海大医学部付属病院は、同病院での体外受精による妊娠が100例、45例が誕生したと発表した。これは体外受精・胚移植、ギフト法、体外受精卵・卵管内移植の三つの方法を合わせた数字で、それぞれ21、45、34例が妊娠に成功(成功率各19、20、31%)。同病院が独自に開発した体外受精卵・卵管内移植の成功率が高いのが目だつ。1施設で100例の妊娠は初めて。
毎日11月5日
1987.11.15
京都大農学部家畜繁殖学教室で、卵子に直接精子を注入する新しい体外受精法を開発、ウサギで出産に成功。将来、男性不妊症の乏精子の治療への応用に道を開く。
読亮11月15日
1987.11.17 体外受精を受けて出産した岩手県江刺市の夫婦が、赤ちゃんの誕生を祝う会を開き、体外受精児としては初めて名前を公表。
毎日11月17日
1987.11.28 イギリス政府は、体外受精などの生殖技術の進歩に伴い、胎児のクローン(複製)や遺伝子操作などを禁止して刑事罰の対象とし、体外受精を行う医療施設の開設や体外受精の1件ごとに許可が必要などの新方針を発表。
毎日11月28日
1987.12.04 資産家の両親の死亡によりオーストラリアの病院に冷凍保存されたままになっていた受精卵に相続権はないとの裁判所の決定が下り、受精卵は人工授精機関に提供されることになる。
毎日12月4日
1988.03.23 世界初の体外受精児・ルイーズちゃんを誕生させたイギリスの産婦人科医パトリック・プテストー博士が死去。74歳。
毎日8月23日
1988.04.30 シンガポール政府が、世界初の卵子銀行の設立の準備を進める。女性が出産の時期を安全かつ自由に選べるように、依頼者の卵子を凍結保存し、希望する時期に解凍、人工授精して本人の子宮に戻すというもの。
毎日4月30日
1988.05.18
新潟大医学部倫理委員会は、同大医学部産婦人科学教室から不妊治療法としての申請のあった凍結受精卵を用いた体外受精について、母体に移植することを条件に、臨床応用を認めることを決める。医療機関が凍結妥精卵を用いる体外受精を正式に承認したのはこれが初めて。
毎日5月18日
1988.05.19 厚生省研究班(京都大医学部森崇英教授を中心に体外受精を積極的に進める東海大、東北大、徳島大など7大学の専門医で構成)は、86年夏以降の1年半の間の7施設での体外受精の成果を調査し、528例実施で45例(8.5%)が妊娠に成功、ギフト法は282例実施のうち44例(15.6%)が妊娠に成功と報告。また患者の状態に応じてどの治療法がよいかの適用基準を設定。
朝日5月19日
1988.07.17
新潟大医学部産婦人科学教室が、不妊症の夫婦と凍結受精卵の臨床応用に関する合意書を取り交わし、日本で初めて体外受精卵の凍結保存を開始。
毎日7月17日
1988.07.28
臓器移植や体外受精などの先端技術のあり方について総合的、学際的に研究する初の学会として日本生命倫理学会(仮称)の設立が決まる。坂本百大青山学院大教授を中心として世話人に加藤一郎成城学園長、渡辺格慶応大名誉教授、竹内一夫杏林大学長、岡本道雄元臨教審会長ら。
毎日7月28日
1988.11.09 イタリアで48歳の女性が再婚した夫との間で体外受精した受精卵を20歳の実の娘に移植して代理母とし、娘が出産したことが明るみに出、国中で非難のあらしに。
毎日11月9日
1988.11.12
東海大医学部産婦人科のグループが、不妊治療の検査や体外受精、人工授精のために採取した卵子や精子の残りを、本人に無断で実験に使用していたことが明らかになる。この実験は、体外に取り出した卵子に穴を開け直接精子を注入する、男性不妊症の治療のためのもの。
毎日11月12日
1988.12.16 山形大医学部が、凍結受精卵を母体に戻す不妊治療をすでに開始していることが明らかになる。凍結受精卵を用いた体外受精の臨床応用は日本で初めて。まだ妊娠例はない。
読売12月16日
1988.12.25
京都大医学部倫理委員会は、凍結受精卵を用いた体外受精の臨床応用を承認し、その対象を内縁関係の夫婦や日本国籍を持たない人にも広げることを認めた。
京都12月25日
1989.01.21 中国で、夫以外の精子提供による人工授精(AID)で出産した夫婦が離婚。夫が人工授精に同意したことを否定、母子を追い出したため、妻が訴え、裁判所は離婚を認めるとともに、夫に対し、子の養育費を支払うよう指示する判決。
東京1月21日
1989.03.25 アメリカ・テネシー州の病院で凍結受精卵による体外受精を受け成功しないまま離婚する夫婦が、受精卵の所有権をめぐる裁判を起こす。
読亮3月25日・関連記事朝日8月16日
1989.04.21
授精能力が極端に弱い精子を、顕微鏡下で人為的に卵子に注入する体外受精を研究する「マイクロ・ファーティリゼーション(顕徴受精)セミナー」の第1回会合が開かれ、日本でもこの不妊治療を行おうとする動きが出る。
読売4月21日
1989.05.02 シンガポール大学付属病院の研究チームが、男性不妊の原因である授精能力の弱い精子を、卵子の表層を包む膜の下にピペットで注入して受精させる体外受精の臨床応用により初めて出産に成功。
日経5月2日
1989.05.13 イギリスの共同研究チームが、体外受精後3日目の受精卵から細胞を一つ取り出して遺伝子診断し、性別を判定する技術を開発、臨床応用される見通しに。性別を判定した結果、受精卵を母体に戻すかどうかを決めて、筋ジストロフィーや血友病、重度の精神薄弱など、伴性劣性遺伝性疾患を予防するという。
朝日5月13日
1989.07.13
東京歯科大市川総合病院と慶応大医学部のグループが、凍結受精卵を用いた体外受精で、日本で初めての妊娠に成功と発表。胎児は双子で妊娠4カ月。
朝日7月13日
1989.08.30
慶応大医学部飯塚理八教授らのグループが、内視鏡で子宮内を見ながら、細いチューブで精子を直接卵管に注入する新しい人工授精法(HIT)で、初めて出産に成功。
朝日8月80日
1989.09.22
アメリカ・テネシー州で、体外受精による凍結受精卵の所有を離婚する夫婦が争う裁判で、郡裁判所は受精卵は生命であるとし、妻側に産み育てる権利を認める判決を下した。
朝日9月22日
1989.10.00
世界保健機関(WHO)欧州事務所のM・G・ワグナー博士らが、体外受精では、出産前後の胎児、赤ちゃんの死亡率が高くなるなどのデータをもとに「体外受精は実験段階」と論文に発表。
朝日12月26日
1989.12.02
大阪で海外の女性研究者9人を招いたシンポジウムが開催された。女性学/地球規模で連帯を・体外受精は幸せ生まぬ・買売春許す文化にも異議。
朝日12月2日
1989.12.06
農水省畜産試験場は、体外受精で産まれた牛に体外受精卵を移植して子牛を産ませることに世界で初めて成功したと発表。この成功で体外受精で産まれた雌牛の繁殖機能が正常であることが判明すると同時に、体外受精牛の繁殖への利用や安く合理的な肉牛生産への道が開けることになる。
朝日12月7日
1989.12.25
東京医科歯科大病院の大野院長(産婦人科)らのグループは、慶応大医学部の飯塚理八教授らと協力し、冷凍受精卵を用いて妊娠・出産させることに国内で初めて成功した。不妊症治療のため、母親の体から12個の卵子を採取し、うち5個を夫の精子で体外受精させて子宮に戻したが、妊娠しなかった。そこで、零下196度の液体窒素で凍結保存してあった4個の受精卵を解凍。正常に育ち始めた2個を妊娠の確率を高めるために子宮に戻した。同病院ではこれまでに14人の母親から卵を採取、体外受精の後に凍結保存していた。このうち10人に解凍した受精卵を戻し、2人が妊娠したが、もう一人は流産し出産には至らなかった。世界ではこの方法ですでに30人以上が産まれている。
朝日12月26日
1990.02.00
「女の人権と性」実行委員会が主催するシンポジウム「アブナイ生殖革命/技術の進歩と女の選択」が、東京で開催された。体外受精・中絶期間短縮などについて議論される。
朝日2月9日
1990.02.17
日本産科婦人科学会(会長、水野正彦・東大教授)は国内の体外受精児が200人以上になったと推定されると発表。88年現在、72カ所の医療施設で4153回の胚移植が行われ、分娩数は160回(多胎例を含む)になるとのこと。4153回のうち妊娠したのは12.8%であり、妊娠成功例のうち流産率は40.2%と普通の妊娠の流産率(15%程度)を大きく上回る。
朝日2月18日
1990.02.26
山形大医学部付属病院で、凍結受精卵による男児出産。国内で2例目。母親は22歳で結婚してから5年間子どもができず、卵管閉塞と診断される。1988年以来、同大学で体外受精による妊娠を試みていた。1989年2月、母親から7個の卵子を採取しうち6個を体外受精させ、4個を子宮に戻したが妊娠せず。凍結保存していた2個の受精卵を解凍後子宮に戻し、うち1個が着床した。
朝日2月27日
1990.03.09
末期がんの夫の子どもを産もうとして人工授精に頼った妻が、「他人の子どもが産まれたのは、夫の精子を他人のものと混同したためだ」として、授精施設と精子銀行を相手に損害賠償の訴えをニューヨーク州最高裁に起こしていたことが明らかになる。
朝日8月10日
   
   
   
   
   
   

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