私は昭和24年生まれですから、戦後の団塊の世代に属し、ラジオからテレビ時代への変遷、高度成長、公害発生などを見ながら育ったことになります。
この私の成長は、半導体、コンピュータ技術の進展ともシンクロナイズしていたはずですが、これらは今だから言えることで、当時は単なる子供ですから、世界の
どこかでそんな開発競争が行われていることなど知る由もありませんでした。
学生時代は大学紛争の渦中にあって、キャンパスは今のように平和ではありませんでした。社会主義の到来が必然で、この時こそ革命を起こせると信じている学生
がどの大学にもいて、体制批判、大学解体と叫ぶ集団行動を起こし、そのため大学の機能は3年次になったときに停止してしまいました。講義で聴いた通り、経済の
基礎は主観的価値に基づく市場のもとでの個々の活動の自由である、という今では当たり前のことを述べても保守反動と言われかねませんでした。この様な状況での
経済学の勉強は試験のためではなく、友達との議論に勝つためのものでした。
さて、大学が再開されて入ったゼミの指導教授は、経済理論の整合性に関わる基礎理論に
貢献された方ですが、その時は人間の意思決定、さらに思考そのものと計算機との関係に関心をもっておられました。私も意思決定の理論、それに不確実性を扱うた
めの基礎である統計確率、さらに経済の分野で不確実性を明確に扱うモデルに興味を持ち始め、今に至っています。
コンピュータとのかかわりについて・・・
当時、日本で初めてのTSS(センターに設置された大型計算機を多くの端末から共同利
用する方式)が大学に設置されていて、学生の私にも身近にプログラミングを行い、モデルのシミュレーション、最適解の探索などを楽しんでいました。これは「誰
でも使える計算環境」の走りであったと思います。
大学院修士課程を修了し、追手門学院大学の経済学部に務めさせて頂くことになったとき
、私の研究室は計算機センターの事務室内に置かれました。すぐ横に設置してある計算機(NEAC3100)を自分のために使い始めました。そこでは計算機の運
用に責任があったのではありませんが、いろいろ工夫して他の先生方にも、学生諸君の演習にも使い易くしようと試みました。
しかし、数カ月程して提供されているオペレーティングシステムの一部に欠陥があること
が分かりました。そのタイプの計算機は既に使っているところが九州に一カ所のみ、という状況で、メーカー側のサポート技術者チームも解散してしまっていました。
使える計算機はそれだけですから、仕方なくメーカーの担当者に頼んでソフトウェアの資料(ソースプログラム、仕様書)を取り寄せ、技術者も一人派遣してもらって
大学でその欠陥部分を見つけて修復しようと試みました。しかし、それは無駄な努力でした。
結局、もともと使いにくい仕様のシステムを修復するより、自分でもっと良いものを最初か
ら作る方が楽であることに気付きました。基礎資料も揃っていましたから、当時計算機センターに出入りしていた学生と手分けし、紙テープと格闘しながら、別のプログラムを作ってしまうとい
うことがありました。
パーソナルコンピュータを含め現代のコンピュータは便利良くなっていて、その分システム
の動きを直接見ることがなくなりました。本来、計算機は、「人から気付かれないよう陰で動く」ことを使命としていますから、これはこれで良いのですが、計算機を
勉強しようとする人には、やりにくい面もみせているようです。私はあの紙テープ時代のプログラミングの味が忘れられず、今でも、研究とは離れて、ふと思いついたアイデアを実現
しようと、プログラミングすることを楽しみとしていますが、これは実益を兼ねた私の趣味の一つとなっています。
|